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【天皇陛下100の言葉】御心が表れた発言で感じること

pixabay サーブ

上皇となられた、平成の天皇陛下。人間としてもご尊敬申し上げております。

そうなれば当然、関する本を読みたくなるもの。と言っても、いきなり分厚いのとか難しいのはちょっと……。

古本屋へ行って目についたのが、ご紹介する本書でした。このあと続く、美智子さまのと合わせて読みたいですね。

お言葉と解説が、見開きで1ページづつ、それぞれ載っています。テレビでよく皇室の解説をしている山下氏の監修ということで分かりやすいかなと思い、読んでみることにしました。

書籍データ
【天皇陛下100の言葉 国民に寄り添うやさしき御心山下晋司監修 別冊宝島編集部編 2017年1月27日初版

タイトルは"天皇陛下"ですが、お言葉は幼少の頃からのものも収録されています。これで人となりもよく分かります。

全5章に分けられていて、その中から“象徴として、いかにあるべきか”を模索された様子や、地方へのご訪問の意味、「先の戦争」を風化させない想いなどが語られたお言葉を、取り上げてみたいと思います。

第1章 象徴としての役割 から

平成14年、前立腺がんを患われ、手術を受けられました。大きなニュースになったことを覚えています。

無事に退院され、安堵しました。70歳の誕生日の際の記者会見で、こう発言されました。

公務をしっかり果たしていくことが、病気に当たって心を寄せられた多くの人々にこたえる道であると思っています。
(平成15年 P52より)

天皇になられてからずっと、象徴としてどうあるべきか、もちろんお考えになりながら進まれたのですが、この発言は国民との距離が一層縮まったことが感じられ、象徴としての行動の意味付けが、確実に増えました。

困難な出来事が降りかかっても、それをプラスにできる事は、すばらしい人間の特徴ですね。なかなかまねのできないことです。

第2章 国民を思うお気持ち から

地方というものは非常に大事だと思いますね。中央だけでなくて、地方全体がそれぞれの立場で生きていく。それが日本として大事だと思います。
(昭和55年 P76より)

すべての都道府県を訪問された陛下が、なぜそうされたのか、理由の1つが分かります。

象徴としての自分が、あまねく地方を訪問することで、誰も忘れ去れることなく国民を統合されようとしたのではないか。

「いったことは必ず実行する。実行しないことをいうのは嫌いです。」と31歳を迎えられた時のお言葉も載っていますが、”すべての地方を必ず訪れる”と、心に絶えずあったのではないでしょうか。

平成5年に現在の御所が完成し、それまで赤坂御用地から皇居へ通われていたのが、なくなります。普通なら移動のご負担が減ってよかったと思うのですが、陛下はこうおっしゃいました。

赤坂と皇居の往復がなくなり、街の様子や街を行く人の姿を目にすることが少なくなったことを感じています。
(平成5年 P82より)

単なる移動時間も無駄にせず、天皇としての“仕事”を果たされていらしたわけです。脱帽!でも、そうやって人々の姿を目にすることは、陛下にとって楽しみだったのではないでしょうか。時々“お忍び”で皇居周辺を歩くこともされていた訳ですが、人との出会いを喜びと感じられる人柄が、お言葉には表れています。

pixabay 日本の街

第3章 平和への信念 から

国際交流が様々な場面で感じられる時代になりました。外国人、たくさん来てください、が多い気もしますが、私たちが世界へ行くことも随分増えました。

私が勤めている職場でも、マレーシアへ行っている人がいます。旅行じゃないんです。永住するための準備。いまや、そんな時代です。

外国ご訪問も多い陛下ですが、こんなご発言をされています。

日本人が外国へ行けば、一人一人が広い意味で外交をしていることになる。
(昭和50年 P114より)

”あなたの国はどんな所か?”と聞かれて答えられる日本人になることが、誰でもできる小さな外交。そういう事が、結果的に平和への道に繋がります。

平和を願うことも大切な役割とされてきた陛下の、私たちへの切なる願いでしょう。

ご高齢になられても、国内はもちろん、外国の戦跡を慰霊された陛下。

次のお言葉は、日本人として戦争と向き合う時に忘れてはならないことについて語られた、結構有名なものですが、確かに忘れないために、ここに取り上げます。

日本では、どうしても記憶しなければならぬことが四つはあると思います。(終戦記念日と)広島、長崎の原爆の日、そして6月23日の沖縄の戦いの終結の日。
(昭和56年 P120より)

どうしてもーーならぬ」の強い言葉で、お気持ちが表れています。平和を実現させるために、”風化させないこと”“考え続けること”、が”何より大事です。

pixabay 戦績

第5章 自身を高める から

ここでは視点を変えて、人間らしいご発言を取り上げます。

「四十にして惑わず」というけれど、惑いはありますよ。惑いつつ進むというのが普通じゃないでしょうか。
(昭和48年 P198 より)

まさに40歳を迎えられた年の発言。陛下といえども人間。皇室の人間はどうあるべきか、模索されながら歩まれました。

惑うのは当たり前、という事を理解されていたので、探求を積極的になさったり(専門家などを呼んで話をお聞きになる、正式には「進講」や「内奏」といいます)、物事への配慮が出来たのだと思います。立場にあぐらをかかない。天皇として、人間として、多くの尊敬や信頼を寄せられる要因のひとつだと思います。

取り上げなかった第4章は、家族についてのお言葉が集められています。もちろん興味深いです。長女の黒田清子さんが結婚され、皇室を離れたことへのご発言は、普通の父親としての心情が吐露されています。


要所要所に昭和天皇について、お話しされているのも印象深かったです。

陛下にとって昭和天皇は、天皇としてどうあるべきか、もっともリアルなお手本であったことがよく分かります。
※敬称は当時のままとなっております。

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Last Modified : 2020-02-26

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